気まぐれ日記 2018年1月

2017年12月はここ

1月1日(月)「家族5人で新年がスタート・・・の風さん」
 知らない間に年を越したのが昨夜のことだった。
 超多忙だった2017年とはここで区切りをつけたことになる。
 今年はじっくり腰を据えた仕事をしようと決意している。
 昨夜の就寝は遅かったが、幸い朝のうちに目が覚めたことと、どうやら天気も好いようなので、朝食は摂らず、薬の服用だけにして、ワイフのアクアの洗車に出かけた。
 観光地に住んでいることもあって、反対方向へ向かうクルマが多いこと。神社の近くでは特に混雑していた。
 自動洗車後、室内の水拭きだけでなく、窓ガラスへの撥水処理やタイヤのワックススプレイもやった。
 元旦の朝食は昼過ぎにずれ込んだが、家族5人全員でお節を肴に雪の茅舎で乾杯。両親から受け継いだ東京風の雑煮で新年をスタートさせた。私は念のため、食後、胃腸薬を服用した。
 年賀状が今年もどっさり届いていた。振り分け処理をした後、出していない方をチェックし、追加印刷もした。
 夕方、日が暮れかけていたが、地元の神社にワイフと初詣に行った。私は長袖シャツとズボン下で武装したので、防寒はバッチリだった。あ、毛糸の帽子もかぶった。
 帰宅してからホットタイム。
 夜も雑煮が晩ご飯で、朝とは別の秋田のお酒を出した。朝と同様に1本が空になるのが頼もしい。
 年末駆け込みでラインゲームに没頭していたが、年明けからツムツムのみに変更した。空いた時間は英語の勉強にあてる。今年は英語というか英会話を学び直す年に決めている。人生でやり残していることは多い。自分自身のことは自分で責任をもてばよいので、そうなると英会話だけが心残りになりそうである。だから、学び直しに決めた。
 新年がスタートした。

1月2日(火)「ワイフの実家に家族全員で帰省・・・の風さん」
 今朝も朝食は抜き。薬の服用のみ。
 10時半過ぎに家族5人でワイフの実家へ年賀に向かった。恒例行事だが、5人で出かけるのは久しぶりである。
 義父母も83歳と高齢になったが、出かけられる実家があるのはありがたい。そして、うちの子どもたちは、当然、義父母の孫たちになるので、交流は子どもたちにお任せ。
 昨年末の食べ過ぎで反省しているので、実家での飲食は少し節制した。それでも酔っ払ってしまい(恒例のことだが)、横になって眠ってしまった。
 目覚めると、子どもたちがお義父さんの年賀状書きを手伝っていた。これはとても良い正月の仕事だった。
 日が暮れてから帰宅し、ぎょうざで晩御飯にした後、長女を名古屋まで送った。長女が明後日から仕事が始まる。
 帰宅するともう午前零時を回っていた。
 たくさん残っているお菓子をインスタントコーヒーで食べてから入浴(シャワーだけだが)。
 早めに就寝することにした。
 昨日今日と、新年の行事をこなすことができて、まずまず満足。

1月3日(水)「たまごの抽選・・・の風さん」
 年が明けて初めて朝食を摂った(笑)。いつものトーストとホットミルク。
 その勢いで(?)、風呂掃除もした。
 年が明けてから、少しずつ身辺整理もするように心がけているので、未読の雑誌をちゃちゃっと読んで処分ゾーンへ。
 昼食は餅の磯辺巻きだった。
 まだ初売りに本格的に参戦(?)はしていないが、近くのスーパーで恒例のたまごの抽選があるので、ワイフとウォーキングを兼ねて行くことにした。1500円以上買うと、1回抽選ができる。電子スロットで、2〜6個が当たる。キーボードのように数字が(3行3列で)並んでいるので、各数字の個数から、確率は2〜5個が9分の2で、6個は9分の1……のように見える。しかし、こんなものは、プログラムでいくらでも操作できるので、そうなっているかは分からない。
 長袖シャツとタイツを下に着た完全武装で外へ出た。毛糸の帽子もかぶった。すごい風が吹いている。冷たくないのが幸い。
 最短コースでスーパーに着き、それぞれ1500円以上購入して2回引けば、最低2+2=4個はもらえると思った。
 先に買い物を終えた私が引いたら、なんと6個が当たった。
 だいぶ遅れてワイフの番がやってきた。なんと5個が当たった。二人で11個。今年は縁起の良い年かもしれない。
 帰宅後の重点は読書で、吉村昭さんの本を読んでいるが、これが長くて、なかなか読了しない。
 ま、今日は、風呂掃除とウォーキング(たまごの大当たり)が成果だな。

1月4日(木)「今ごろ念頭に思う?・・・の風さん」
 今日は新年最初の終日快晴になりそうだ。風もかなりおさまっているので、屋外の灯油タンクに給油した。でも、ときどき強い風が吹いてきた。冷たくなかったのでよかったが。
 京都へ帰る長男を駅まで送ったついでに、アクアに少し給油し、帰りに追加印刷した年賀状を投函した。毎年200通前後の年賀状をやりとりしている。年賀状だけのお付き合いも多い。ワイフと分担して、任せっぱなしというのもある。父が死んだとき、連絡先の情報源は年賀状が中心だった。89歳だったが、父の人生特に古い時代のことを知らないままだった。父の死をきっかけに、それを知ろうとしたが、いくらか分かったのは駒場時代(東京帝国大学農学部付属農業教員養成所で勉強していたころ)だけだった。東大の駒場キャンパスに痕跡が残っていて嬉しかったし、幸運にもその年、そこで講演をする機会も得られた。
 昼食を摂ってすぐ風呂掃除もした。家族が減れば、風呂掃除のインターバルも長くなるだろう。私は大学生時代、率先して我が家の風呂掃除をしていた。いい年をしながら依然として学生で、何も世の中に貢献していないことが苦痛だった。せめて親の負担を少しでも軽く、と思っていたのだが、偉そうに言えることではない。年金生活に入った現在、そういった気持ちがまた萌してきていて、過負荷状態をコントロールする今年から、自主的な風呂掃除を復活させようと思っている。
 年末から読み始めていた吉村昭さんの『虹の翼』を読み終えた。これが今年最初の読了になる。吉村さんらしい作品(二宮忠八の生涯)で感服したが、読んでいない吉村さんの本がたくさんあって、それら一つ一つもきっとこの作品と同様に、緻密な取材と調査に基づく、隙のない仕上がりだろうから、あらためてすごい作家だと思った。
 亡き母の遺品整理に出かけていた時、自分自身を奮い立たせるために始めたLINEゲームだが、その頃夢中でやっていた2種類はもうだいぶ前に中断している。今年執筆に専念するため、もう1種類の中断を決めた。あと、以前取り組み始めた身辺整理(不要な物はもちろん、未練の物も捨てること)を再開することにした。たとえ一枚の紙きれでも、捨て続ければ、まさに塵も積もれば山となるはずだ。読みかけの雑誌も読んで捨てる(必要な部分は念のためPDFにしておく)。
 とにかく時間を作って、読書にあてる。昨年の読書不足を挽回しつつ、新作のための啓発が必要だ。
 しかし、何といっても、忘れてはいけないことは、健康だ。昨年は病院通いが多過ぎた。早く筋トレを復活させ、リハビリも卒業しなければならない。

1月5日(金)「長い一日・・・の風さん」
 今日も昨日に続いて天気はよさそう。ワイフと外出するので、ラッキー。
 帰りに駅から団地の坂を歩いて登りたくないため、よくあるコースを選択した。途中駅までキャメロンで行き、そこから電車である。混んでいて、ワイフと並んで座れなかった。車中では、年明けから始めた英語のクロスワードパズルをやっていた。英単語を思い出すのにちょうどいい。
 昼食は次女の企画で、次女の友達も入れて、矢場とんでランチした。矢場とんは有名だが、混んでいることが多く、利用したことはなかった。名古屋めしの一つ、みそかつが売りらしい。
 名駅近くのデパートへ行き、今ごろになってしまったが、ワイフにバースデープレゼント兼クリスマスプレゼントをしようと提案したら、ロングダウンが欲しいという。1年以上前から欲しかったそうで、うまい具合にセール期間に突入していて、割安で購入できた。
 出歩いてばかりのワイフも、ゲートタワーモールはほとんど歩いたことがないというので、そこでウィンドウショッピングとコーヒータイムにした。老舗のデパートと違って、広々していて開放感がある。
 帰りにスーパーに寄って買い物をしつつ、ついでにオムレツで晩ご飯にして帰宅した。
 疲れたので、今夜は仕事はやめ、PCとテレビを接続して映画を観た。
 トム・クルーズの「アウトロー」。どうなるのか先が読めないスリリングな展開で、最後は悪人を殺して終わってしまうというまるで必殺仕掛人みたいな作品だった。

1月6日(土)「眠い一日・・・の風さん」
 仕事はほとんどしていないが、毎日何か用事がある。
 今日は先ず、今年最初のリハビリだ。
 小雨が降る中、クリニックへ行くと、すごい混雑である。腕の良い医師が遠くから来ているとのことで、それが目当てで診てもらいに患者が殺到しているのだという。初めて聞いた。
 左の五十肩もかなり治ってきた感覚がある。しかし、左右の腕をまっすぐ上に伸ばしてみると、左右同等ではない。あとひと息だ。
 ホームセンターで少し買い物をしてから帰宅した。
 ランチはワイフがラーメンを作ってくれた。子どもたちは3人ともそれぞれの生活空間へ帰ったので、これは異例のことである。ありがたく食べた。美味かった(笑)。
 昨年末に歩く電気屋さんをして日が浅いが、今日も少し似たことをした。ホームセンターで購入した部品を使って屋内の電気配線を試みたのだ。だいたい目途がついたので、1週間後に追加工事をして完成させる予定。
 そろそろ仕事を始めようと思ったが、頭が働かない。ボケたか? そもそもリハビリをしてきた午後は眠くなるので、頭脳がねむねむモードだろうと考えて、読書程度にしておいた。
 今日も、年賀状の追加印刷をして、2通投函した。今年はこれで終了だろう。
 晩ご飯の後も、なぜか眠く、やはり昼寝しなかったせいかもしれず、そう思って書斎でうたた寝した。
 午前零時になってしまったので、とりあえず入浴し、それからまた書斎に戻ったが、頭脳は冴えず、一人でPCでビデオを観た。AIがテーマの映画で「エクス・マキナ」である。ロボットは人間に危害を与えてはいけないとされているが、この映画で出てくるロボットはAIを搭載していて、アンドロイド以上に人間に近いせいか、ストーリー展開上、人間に危害を与えて終わった。AIの倫理が議論されて久しいが、世界統一のまともな倫理がルール化されるだろうか。戦争のない時代がないことでも分かるように、AIも武器として利用される恐れは高い。 

1月7日(日)「初仕事かも・・・の風さん」
 昨日は、久しぶりのリハビリ疲れもあって、絶不調だった。
 気まぐれ日記すらまともに書けなくて、今朝は、朝食抜きで、先ず日記から取り掛かった。
 何とかできた。ホームページのアクセスカウンターをチェックすると、毎日、十数名のアクセスがある。ありがたいことなのに、申し訳ないことをした。
 昼食は、久しぶりの卵ご飯で、いかに短時間で食べ終えるか、いつも挑戦している。ただし、計測したことはない(笑)。おそらく10分以内だろう。
 3月実施を依頼されている講演があって、そのための事前送付資料がやや遅れていた。実は、昨日やろうとしてまるで気合が入らなかった。今日こそやらねばならない。でないと、昨年末の小説のスランプが講演にもつながっているとしたら、いよいよボケを疑うことになるからだ。これからこういった不安は常につきまとうだろう。
 そう思いながら、取り掛かった。イメージはしていたので、その延長線で作業が進むかどうか、である。
 幸い、波に乗れた。どんどん作業が進行していった。講演依頼への回答書を皮切りに、講演テーマ、概要、講師プロフィールまで進み、さらにレジュメの案まで完成した。
 それらを3つのメールに分けて送付した。
 超多忙だった昨年は、講演の2か月前にこんなに準備ができたことはなかった。
 その後は、ひたすら読書に時間を割いた。雑誌も1冊、処理できた。
 新年になって、外出しなかった日は、今日が初めてだった。が、ひと仕事できたのだから「よし」としよう。 

1月8日(月)「NHK正月時代劇・・・の風さん」
 退社して4年になるが、まだトヨタカレンダー(トヨタグループで共通している出勤日)を意識している。なので、今日は成人の日で祝日だが、現役の人たちは今日から仕事だろうなあ、と朝から思ってしまう。34年間で染みついたカレンダーの感覚が薄れるには、4年では足りないのだろう。
 それにしても、今日は終日雨の予報で、成人式に出席する人たちには気の毒だ。
 年が明けてから比較的マイペースで行動できているので、今日も続けなければ。
 午前中に軽く雑務処理をし、インスタントの山菜蕎麦で高速ランチを終えてから、今週の非常勤講義の準備を開始した。12月20日の講義以来なので、少し間隔があいた感じ。手順はわかっている。前年度の資料に基づいて復習しつつ、不足を補うのである。最後になるので、最終的にはほどほどそろった講義資料の形で残したい。
 若干趣味的なこともあるが、今回はエクセルでのグラフ描画の部分の解説を補った。
 晩ご飯の後、ワイフに録画しておいてもらった元日放送のNHK正月時代劇「風雲児たち〜蘭学革命篇〜」を観た。これは前野良沢、杉田玄白らを主人公にした作品で、昨年の拙著『ひらけ蘭学のとびら』と内容が重なっている。
 テレビで時代劇はほとんど観ない方針の私だったが(時代考証がいい加減なことが多いので)、出版社など関係者の多くが関心を持っていたので、観ることにしたのだ。すると、期待以上の出来だったので、とても楽しく鑑賞できた。キャストがいいし、メイクや舞台セットも丁寧な作りで感心した。時代考証も冒頭「いい加減だ」とのメッセージとは違って、どうしてどうして、こだわりを感じた。何度も再放送されて、多くの人たちに観てもらいたいと思った。

1月9日(火)「強風で外出できず・・・の風さん」
 雨は上がったが、冬特有の雨が上がった翌日の強風が吹き荒れている。
 今日は特に大きな予定はないので、夕方風がおさまったらウォーキングに行きたい。
 それまで、まずは午前中の雑務処理だ。身辺整理を兼ねているので、捨てられる物は捨てて、読みかけの雑誌は読んで捨てる。
 最後の配達だろう、年賀状がまとまって届いた。昨日から投函分は官製の年賀ハガキでも10円切手を追加で貼らないと送れないので、今日届いた分が52円で届く最後の分だと思ったのだ。それにしても面倒な話だ。
 今日もランチはインスタントの山菜蕎麦。残念ながら、印象的でない。緑のたぬきの方がはるかに美味い。
 午後になって、いよいよ今年の最大の小説テーマの準備を開始することにした。と言っても、以前から少しずつやってはいることなので、本格化するということだ。
 たくさん用意してある資料の中から、1冊をピックアップして読み始めてみた。すぐ分かったことは知識不足だ。おそらく膨大な量の資料を読み込んでいかないと、作品の時代背景は描けないだろう。
 夕方になったが、風の音は激しく、とてもウォーキングに行ける状態ではなかった。
 一方、今月から来月にかけての、大きなスケジュールも決める必要があった。今年は小説執筆に軸足を移すことは間違いないが、引き篭もりになるわけではない。それなりに出歩くこともするのだ。とりあえず2月いっぱいまでの出歩くスケジュールは、今週中に決めておこうと思う。特に、上京スケジュールである。きっと来月あると思っている、読書感想文の表彰式には、ぜひ出席したい。が、まだ日程が分からない。
 就寝時刻までには、いくつかスケジュールが確定した。今年はなるべく過密スケジュールや強行日程は組まず、書斎で執筆に専念する。

1月10日(水)「講義が始まった・・・の風さん」
 9時起床。昨夜の就寝は午前2時だったので、これがどうやら私のペースらしい。
 10時10分出発。今日から非常勤講義が始まるのだ。
 晴れているが、まだ風が強い。
 本山に着いて先ずランチ。社会人学生だった11年前から利用している食堂で、ここもカウントダウンが始まった。
 キャンパスに入って準備をしていると、社会人学生時代からの知り合いの史文珍さんと会った。彼は一年か二年下の学年で、今はここで助教をやっている。日本でずっと働くつもりかもしれない。当時の同級生が数日前に来日したそうで、今では経営者として成功しているとのこと。国が発展していると、そういったチャンスがある。中国は明治維新期の日本みたいなものか。留学経験者は成功する可能性が高いのだ。一方、低成長の現代日本では、大きな成功を望むなら海外で活躍するしかないだろう。しかし、ほとんどの国民は小さな幸福を望んでいる。国内にとどまって、幸福な生活を送るためにはどうしたらいいか。なかなか難しい問題だ。
 バッチリ準備できていたので、余裕をもって講義をすることができた。最後に、レポートを受け取って終了した。講義はあと2回だ。
 すぐ家路について、寄り道せずに帰宅したので、まだ日没前だった。それでも講義があると一日仕事である。非常勤講師を卒業して得られる時間は絶対に大きい。
 船員のお隣さんと久しぶりに会った。大阪にも家があるので、最近はめったに顔を合わさない。お互い、築30年近くなっていて、年齢は向こうが少し下だが、もう将来とはいえない近い未来に不安を抱えている。お隣さんも、ふだんは友人が家に風を入れるため頻繁に来ている。家を維持するなら、必要なことだ。もし、私たち夫婦がここで暮らせなくなって、それでも家を維持しようとするなら、何らかの対策が必要になる。たとえば、近くの老人ホームに夫婦で入っても、月に1〜2回は訪れて、家のメンテをすることだ。比較的健康で長生きでも、何とも寂しい人生設計だ。それでも、墓参に行ける間は行きたいし……。子どもたちにも帰れるあるいは集まれる場所があるのは良いことではないか。
 夜はほとんど雑務を処理して時間が過ぎて行った。
 今夜も午前1時近くなってしまったが、入浴しながら久しぶりにジャズ演奏を聴いた。防水タイプのスピーカーではあるが、コーンに水滴がつくと音質が低下する。不思議なことに低音域が変わってしまう。

1月11日(木)「電気工事で油断・・・の風さん」
 9時起床。今日も快晴。しかし、風は吹いている。
 年明け早くも2回目のリハビリだ。3月末卒業を目標にしているが、どうなるだろうか。
 クリニックの混み方は普通で、やはり先週は異常だった。スムーズに終えて、ロビーで血圧も測った。冬場は少し高めだな。
 帰りに、予定通り、ホームセンターで、電気配線部品を物色して購入した。先週、途中までおこなった工事により、必要な場所にコンセントを設置することを決めていたが、どうやるかまだ迷っていた。売り場でも、ああでもない、こうでもないとさんざん迷った挙句、決断して購入。
 山越えルートで帰宅し、早速、工事に取り掛かった。手順は明確だし、道具もそろっているので、購入してきた部品を使って粛々と作業を進めて行った。ほぼ無駄のない作業を続け、いよいよ最終段階が近付いた。
 今回の工事案は、電気工事士の資格を必要としない方法を選択したので、ちょっと油断していた。別のコンセントから延長コードを使って、別の場所に新たに外付けコンセントを設置する方法だったからだ。
 延長コードの端っこの皮むきをして、設置したコンセントに配線すればよいのだが、別のコンセントに接続したまま、この皮むき作業をやってしまった。しかも金属製のプライヤーを使って。バチッと鋭い音と光で、指先が煤で黒くなった。ショートしたのである。悪くするとプライヤーが溶けたり、指先が感電したと思うが、幸い、それはなかった。流れた電流も小さかったようで、ブレーカーも落ちなかった。
 そんなことはあったが、まずまずのコンセントが出来上がり、ワイフも感心していた。しかし、ショートの話をしたら「やめてください、もうそんな危ないことは」とたしなめられた(が、本人はまだまだやる気満々)。
 リハビリ後に電気工事までしたので、午後は疲れて、少し昼寝した。
 夜も元気が出ず、雑務の後、GAYO!で「白鯨」前編を鑑賞した。英語が聞き取れないのはともかく、帆船のシーンは美しい。しかし、クジラとのからみのシーンは特撮の技術力不足。学生時代に原作『白鯨』を読んだが、やたら長い作品で読み終えるのが大変だった。

1月12日(金)「重要な更新で大迷惑・・・の風さん」
 気温が氷点下になったらしい。早く目が覚めた。しかし、風は弱まった。
 今日はたくさん仕事をするぞ、という決意も、時間の経過とともに腰砕けになってきた。昨日のリハビリの後遺症がまだ残っているのだろうか。
 午前中は雑務を軽くこなし、卵かけご飯の高速ランチ後、書斎の椅子に座ったまま、うつらうつらしていた。
 夕方から、来週の非常勤講義の準備を始めた。昨年の資料を開いてみると、すっかり忘れている。内容は、ほとんど簡単な数学だった。テキストを読んで、解説のスライドを増やそうと、パワーポイントを操作し始めたところで、トラブル発生。「あれれ? 数式3.0が消えている!」
 パソコンのトラブルはこれまで何度も経験している。オフィスのプログラムに数式エディタ―を再インストールするという操作を始めとして、さまざまやってみて効果がなかったので、Windowsの更新プログラムに問題があるとにらんだ。
 最近、マイクロソフトから送られてきた「重要な更新」は、メルトダウンなどのインテル内のリスク対策パッチだが、これによりコンピューターの処理速度が低下するなど、問題が起きているらしい。あらゆる副作用に対応を盛り込んでいる時間的猶予がなかった、つまり、それほどリスク対応を早めたかったのだと思う。だとすれば、他にも問題が起きることは十分あり得る。
 ためしにシステムの復元をしてみた。つまり「重要な更新」をする以前にコンピューターを戻すのである。
 時間がかかったが、案の定である。元に戻った。
 その後、お世話になっている先生からのメールに対応しているうちに夜も更け、もちろんそれまでに非常勤講義の準備はほぼ終了していたのだが、そろそろ店じまいと思って執筆マシンをスリープモードにしようとしたら、ガ〜ン! 知らないうちに、また「重要な更新」がバックグラウンドでされていた。
 明日はまたこの対応から始まるのだろうか?

1月13日(土)「PCトラブルは終了・・・の風さん」
 寝坊、寝坊、10時20分起床(^_^;)。
 数式3.0が使えないと、今後の仕事に支障がある。そもそも気持ちが悪いというか、腹立たしい。
 今日は先ず、マイクロソフトのサポートを利用することにし、チャットを試みたが、なぜか何度やってもつながらなかった。こうなったらもうフリーダイヤルかとも思っていた。
 そうこうしながら、ネット検索してみたら、昨日はヒットしなかった似た状況を説明しているブログがあった。それはパワーポイントでなく、ワードで数式を挿入しようとしてダメだったというものだ。原因はやはり重要な更新。ブロガーはPCに詳しい人らしく、どのパッチが原因か調べた結果が出ていた。そこで、ブログの内容に従って、私も、そのパッチだけ削除してみた。が、ダメだった。
 それで、仕方なく、再びPCを以前の状態に戻し、数式3.0が使えることを確認した後、重要な更新の中のオフィスに関するものをすべて除外し、Windows関係だけをインストールしてみた。すると、問題なく数式3.0は使えた。
 今後、更新プログラムは自動インストールでなく、いちいちメッセージを受け取った後、パッチを選択してインストールする形に変更した。
 今日はランチ抜きで、途中で hairdye などもやりながら、夕方までかかって、このトラブル対応を完了させた。
 昨年末スランプで苦しんだ短編小説の初校ゲラが宅配で届いた。
 挿入する自作の地図やイラストの改訂含めて、晩ご飯までに完了させた。
 昨日のお世話になっている先生からのメール対応も、途中でかなり力を入れてやったので、少し疲れた。
 晩ご飯のとき、グリューワインを飲んだこともあり、夜はレポートの採点だけで、あとは仕事にならなかった。

1月14日(日)「特任教授について調査・・・の風さん」
 8時起床。これでも私には早い方(笑)。朝食前に、近所のポストに投函(校正済み初校ゲラの返送)に行ってきた。休日の収集時刻は9時半のみなので、その前に投函しないと早く出す意味がない。穏やかな気候の朝だったので、楽だった。
 実は、12日のお世話になっている先生からのメールというのは、某大学の特任教授に応募しないかというものだった。今年から作家業に完全に軸足を移すと決めながら、このメールに心を揺さぶられたのは、仕事の内容がまさに私のキャリアにピッタリだ(と思われた)からだ。
 その夜から、ワイフと相談を始めた。昨日も思い付く課題について、調べ始めた。
 午前中、その某大学の特任教授に関する就業規則などを、ネットで検索して調べた。特任教授は個別契約らしい。
 GSへ行くついでにワイフをランチに誘った。お好み焼きを食べながら、午前中に判明したことについて、また相談した。基本的に、自分に都合の良いように考えるのではなく、最悪のケースで覚悟ができるかどうかをチェックしていくのだ。
 今日の結論は、やはり実際にその大学へ行って、どのような仕事の環境になるかを確認することが、最終判断には必要だということだった。
 夕方、身辺整理を兼ねた雑務をこなし、夕食後は、月末の上京スケジュールを検討した。迷っていたが、作家業を進捗させるのに、上京はやはり必要だと判断したのだ。

1月15日(月)「屋外作業に最適な日・・・の風さん」
 昨日に続いて、雲ひとつない青空で、風もほとんどない。
 朝食後、風呂掃除をし、続けて、裏庭の草刈りを久しぶりにした。ほとんど枯草状態で、電動草刈り機が使えるか試す意味もあった。切れ味はにぶいが、枯れているため草刈り機の汚れがしつこくなく、終了後の水洗いが楽だった。これまで控えていた予備バッテリの購入を決めて発注した。
 キムチのおかずで卵ご飯の高速ランチを終え、キャメロンで外出した。
 ドラッグストアでシニア割引のまとめ購入をし、GSで満タン給油と灯油の購入をし、ホームセンターで安価なガーデンライトを購入して帰宅した。
 夕方、GAYO!で「白鯨」の後半を鑑賞した。前半より迫力はあった。この映画のテーマからは、迫力なしには語れない。そういう意味からは、まだまだ迫力不足、リアリティ不足だった。英語の勉強には聞き取りにくくて効果はほとんどなし。
 夜は、今週の講義の準備の続きをした。
 特任教授の件は、紹介してくださった先生に伝えた考え方が了解されたので、その方向で粛々と続ける。

1月16日(火)「今日も屋外作業の日・・・の風さん」
 7時起床。今日も好い天気だ。
 ワイフを駅まで送った後、昨日に続いて草刈りをした。枯草はなかなか切れない。日が当たる場所に、ソーラー式ガーデンライトを試験設置した。
 それからキャメロンで外出。道路工事が多くて時間がかかったが、デンソー本社に12時前に到着。昔の同僚と久しぶりにランチしながら雑談した。かつては昼食時にしていた家族の話で、年齢が近いと貴重な情報が聴ける。
 そんな雑談をしている最中に、かつての部下にも偶然バッタリ。やはりここはデンソーだ(笑)。
 その後、カリチューへ。キャメロンの修理内容を最終決定し、持ち込みの日にち(月末)を約束した。
 帰りに大型家電量販店に寄って買い物をしてから帰宅した。
 特任教授の件で、先生へアップデートした履歴書を送付した。明日の講義の準備の詰めをおこなった。
 夜は、論文などを読んで、身辺整理に努めた。
 午前零時過ぎに、裏庭を眺めると、ガーデンライトがまだ点灯していた。試験設置は成功だった。

1月17日(水)「天気が悪くても雑用はできる・・・の風さん」
 天気予報通りに朝から雨。天気が悪い時の点灯実験ができるな。
 講義をするためにキャメロンで出発。途中で歩くところがあるので、傘も持参だ。
 本山に着いて先ずUFJでATMを操作。ここは本当に便利なロケーションだったな。続けて、今日を含めてあと2回になったランチ。
 キャンパスの講師控室でコーヒーを飲みながら準備を完了。
 今日の講義はほとんど数学の講義に近かったが、脱線しながら無難に終えた(笑)。Windowsの更新で数式エディタ―が使えなくなった話をするのを忘れた。
 第4回レポートを返却し、第5回レポートを受理して、講義を終了した。
 帰る頃には雨がほとんど上がっていた。
 実験中のガーデンライトは、裏庭の駐車場の区域を明らかにするのが主な目的で、一番重要なのは、駐車場への階段付近の照明である。夜間、特に冬場は暗くなるので足元が危ない。色々と検討した結果、ソーラー式は使えないと判断し、電池式を発注した。それが今夜宅配で無事に届いた。
 先ず、書斎を暗くして実験をした。単純機能の確認ではなく、センサーがガラスでさえぎられるとどうなるかが課題だった(保護のためにガラスケースに入れたいと思ったから)。基本原理は焦電型赤外線センサーなので、赤外線がガラスを通して伝わるかどうかである。理論的には、センサーが受けているのは、波長が7〜14μmの遠赤外線である。普通のガラスは、2μmより長い波長の赤外線を透過させないので、焦電型赤外線センサーは機能しないことになる(不透明なポリエチレン樹脂は透過するそうだ)。
 早速実験してみた。賞状を入れた額に使われている透明な樹脂フィルムとガラスをそれぞれ間にはさんで、私自身が動いてみると、やはりガラスでは反応せず、樹脂フィルムであれば反応した。
 夜は歴史書を読むくらいしかできなかった。どうも雑用をしていると作家業が停滞するな。
 午前零時に裏庭をチェックすると、ガーデンライトはぼんやりと点灯していた。天気が悪くても、それなりに点灯はするようだ。

1月18日(木)「墓参日和・・・の風さん」
 雨が上がったのに、風は強くない。昨夜、雨上がりに強風が吹いて、朝までにおさまったらしい。気温も高い。春のような陽気だ。
 やっと年賀状の残り半分をしっかり読み、住所録などの更新を終えた。続けて、お年玉の当否をチェックした。ここ2年連続して統計論的な期待値以上の高い当選確率だったが、今年は下回った。その代わり、ワイフに届いた年賀状は高い当選確率だったので、見事にバランスした(笑)。
 午前のワイフのトール教室が終わったので、午後1時半、ランチを食べに出かけた。教室の生徒のピザ屋である。ちゃんとした釜で焼くので、そこのピザは実に美味い。
 休日や週末はともかく、平日は必ずしも客が多くないので、利用するようにしている。駐車場にクルマをとめておくだけでも、集客効果があるのだ。その貢献も目的である。
 ピザランチを2人前注文したが、また食べきれなかった。老夫婦には少々量が多いのだ。アルミホイルをもらって、3切れは持ち帰り(笑)。
 その後、供花を購入して、月例の墓参に行った。17日は父の、18日は母の命日である。
 墓参には最適な陽気だった。
 今日は雑務もあまりできなかったので、せめて参考資料だけでもと思い、少し読んだ(のが精一杯)。う〜ん、効率が悪い。

1月19日(金)「鈴木春信の見立絵やつし絵に共鳴・・・の風さん」
 今日も天気は好い。
 リハビリに出かけた。あと2ヶ月ほどで丸2年になる。かなり良くなってきているが、卒業できるだろうか。
 帰りにホームセンターに寄った。屋外の整備も少しずつ進んでいる。
 帰宅して急いでランチを食べ、またキャメロンで出かけた。
 開催期間が日曜日までになった、ボストン美術館の「鈴木春信展」を観に行った。鈴木春信は、最初に好きになった浮世絵師である。女性の表情と立ち姿が好きだった。
 平日にもかかわらず、もしかすると私のように会期が残り少なくなって焦った人が多いのか、入場者は多かった。
 アメリカのボストン美術館にはたくさんの浮世絵が収蔵しているはずなので、こういった展覧会は得意だろう。しかし、名古屋のボストン美術館はやがて閉館になってしまう。残念なことだ。
 里帰りの「鈴木春信展」だったが、テーマがいくつか設定してあったので、私にはとても勉強になった。
 たとえば春信が影響を受けた石川豊信、春信が影響を与えた磯田湖龍斎。浮世絵誕生の元になった絵暦。刷の技巧である「空刷り」や「きめ出し」。しかし、何といっても圧巻は、古典に材をとった「見立絵」「やつし絵」だった。人物は吉原の遊女だったり、背景は江戸の名所だったりしながらも、主題は古典からとっているという。春信の教養の高さもさることながら、文化レベルの高い芸術域を感じ、こだわりの作家である私などは、大いに共鳴してしまうのである。
 帰宅し、空腹を感じたので、さっさと(一人で)晩御飯を食べた。今日は、ワイフは実家へ行っている。すると、義父から電話があった。ワイフは今頃、両親と妹と水入らずで夕食の真っ最中のはずだった。ところが、義父はお腹の具合が悪く、留守番になったのだという。ワイフの帰りが遅くなることを詫びていただが、慣れていますから(笑)、と伝えた。
 ガーデンライトの実験の続きをやった。PETなら遠赤外線は透過するだろうと思い、購入してきたPET製の透明ケースでセンサーが反応するか試したが、反応しなかった。再生PETだからダメだったのだろうか。
 今日、ソーラー式のガーデンライトを2個購入してきたが、1個が怪しい商品だった。箱が明けられていることがすぐに分かった。一番心配なのが、装填されている充電池で、分解してみたら、アルカリ乾電池が出てきた。テスターで調べると、完璧に0ボルトである。外見は有名メーカーの高級品だが、放電して0ボルトになっているのか、それとも完全な不良品だったのか分からない。正しい充電電池は単四型ニッケル水素電池だが、容量が普通は販売されていない250mAhである。値段的には、有名メーカーのアルカリ乾電池の方が高い。だから、完全な不良品と差し替えたのではないかと思う。容量が3倍の750mAhの単四型ニッケル水素電池を持っているので、それと交換することにした。

1月20日(土)「たまには超早起き・・・の風さん」
 5時半起床。外は真っ暗。
 6時にキャメロンで名古屋へ向かった。今日は、三蔵塾の聴講である。開始は7時。
 国内外で起きている大きな出来事を、経済やビジネス、金融工学の視点で考えればほとんど説明がつくという話と、世界の宗教の中における日本の神道(実は、これは宗教ではなく信仰、自然崇拝)の意味の講演だった。講師は経済学者であり宮司でもある方だった。期待通りの内容で、勉強になった。
 勉強の後は、開催場所のホテルの朝食バイキングで、10時に家路についた。
 寝不足で疲労も残っているような気がしたが、意外と元気で、11時過ぎには帰宅できた。
 朝食バイキングをたくさん食べたので、腹ごなしの意味もあって、裏の土地の草刈りに出動した。
 予備バッテリも購入してあるので、いつもの2倍の時間できた。背の高い雑草に対しては、ナイロンカッターでは切れなかったので、草刈り鎌も使った。
 終了してからガーデンライトを再配置した。全部で4個。駐車場の境界を示す位置である。
 できれば昼食は抜きにしようと思っていたが、ワイフが用意して待っていた。
 再び満腹になったので、1時間ほど横になった。仮眠。
 10日後に上京するが、予定がほぼ確定した。のんびり始まった新年が、また加速し始めた。

1月21日(日)「また『蜘蛛の糸』・・・の風さん」
 来週から寒波がやって来るという予報なので、今日はのんびり屋内競技に興じている場合ではない。
 朝食後、風呂掃除をした。大学生の頃にしていた風呂掃除と違うのは、ユニットバスなので、洗う面積が多いことだ。さすがに天井まではやらないが、壁も洗うし、バスも側面を分解して洗う。
 卵かけご飯の高速ランチ後、今度は外だ。屋外タンクに灯油を補充した後、裏のザクロの枝を剪定した。
 続いて、お隣さんとの境界に生えているサツキなどの枝を剪定しようとしたら、これが大変。剪定すべき量が多いのに、体が入らないくらい枝葉がびっしり生えているのだ。適当に終えようという当初の考えは早々に捨てて、覚悟を決めてやっていたら、ワイフも外へ出てきた。
 結局、3時間近い作業になってしまった。それでも完全に終えたわけではないので、また近いうちに(今日みたいに天気の好い日に)続きをやる必要がある。
 昨日もそうだが、1日に特別な用事を2件こなすと、本来の作家業をやる体力があまり残っていない。
 夜中に面白いことがあった。数日前に、門柱にのせてあったソーラー式のランタン型ランプが不調になったので、原因を探ろうと、書斎で分解した。不要な部分まで分解したら、中に小さなクモの巣があって、それよりもっと小さなクモが這い出てきた。それ以来、行方不明だったのが、とつぜん机上に現れた。心配していたのだが、飲まず食わずでも何とか生きていたらしい。そっとティッシュでくるんで外へ逃がした。
 何度目かの『蜘蛛の糸』のカンダタ(?陀多)の行為である。もっとも我が家では蜘蛛は保護動物であるが。

1月22日(月)「またキャッシュカード破損・・・の風さん」
 1年で最も長い1月がどんどん過ぎて行く。
 暖かな陽気が続いていたが、今日は東日本全体が寒波に襲われた。東京でも20cmを超える積雪があった。たまたまこのあたりは寒波の風穴だったのだろう、午前中は曇りで、午後から雨が降っただけだった。もちろん気温は低かったが。
 午前中、ホームセンターに買い物に行き、JAのATMで現金をおろそうとしたら、またキャッシュカードが破損していることが判明した。去年再発行してもらったばかりなのに。
 原因として考えられることは、ショルダー内でiPhoneと一緒にしていること。特にiPhoneのカバーが磁石でとめてあるので、この影響が一番くさい。しかし、他のカードではこういったトラブルは起きていないので、JAのキャッシュカードのICチップは弱いのだろう。
 あらためてカード発行支店へ行って、再発行の手続きをした。何とも不愉快なトラブルだった。
 よけいなタイムロスが発生したので、今日の昼食は抜きにしようと思っていたら、階下からインターホンで呼び出しがあった。インフルエンザの影響で今日のトール教室がなくなったので、ワイフがカレーうどんを作ってくれたのだ。
 今夜は、最後の非常勤講義の準備に没頭した。昨年よりまた少し内容が充実した。

1月23日(火)「最終講義の準備がやっと終了・・・の風さん」
 雨は止んだが、天気は曇り。でも、午後からまた雨になるらしい。
 午前中は、非常勤講義の続きをした。高速ランチ後、明日本山キャンパスへ持参するお菓子を買いに出かけたが、お店が休みだった。他で買う気はなかったので、まっすぐ帰宅した。明日、行きに買うことに。
 午後から天気予報通りに雨が降り出した。
 講義の準備はまだあった。レポートの採点である。解説用のスライドも作ったので、夕方までかかった。非常勤講義は卒業するが、とうとう最後まで効率の良い準備や講義はできなかったことになる。ただひたすら、私自身が勉強ばかりしていたということだ。自分らしいと言えばそれまでだが、今後の日本の課題は生産性向上や業務の効率化なので、お手本を示すどころか、偉そうなことも言えない。やれやれ。
 夕方からは風も出てきたが、冷たい風ではない。
 晩ご飯の後のニュースで、また火山の噴火があったことを知った。東日本大震災以来、自然災害が頻繁に起こっている。日本だけでなく、地球規模で起きている。人類の繁栄もそろそろ限界に来ているのだろうか。

1月24日(水)「本山ともお別れ・・・の風さん」
 電車で出かけるワイフを駅まで送るため、私にとってはやや早起きした。
 帰宅してメールチェックなどしてからスーツに着替えて、キャメロンで出発。愛工大での非常勤講義の最終回だ。
 途中、昨日閉まっていたお菓子屋でお礼の品物を購入。地方過疎化を憂えている私としては、できるだけ地元での買い物を心がけている。
 本山に着いて、先ず古本屋へ行った。狙いの本はなかったので、文庫を1冊だけ買っておいた。前から知っていたらもっと利用したのに、と思う。とにかく、ここは便利なロケーションだ。あとJPやスーパーもあってよく利用したが、今日はパス。飲食店はもちろんたくさんある。
 UFJのATMで現金をおろして(JAで自分の分をおろせなかったせいもある)、いつもの食堂へ。たまったポイントを使って500円引きで昼食を摂った。
 キャンパスでは、いつもの仕事の他に、お菓子を渡して11年間の思い出を語りつつ感謝した。研究科長とは会えなかったので、事務員にネームプレートを返却するとともに、お礼の拙著を渡してもらうようにお願いした。
 準備はほぼ完ぺきだったので、今日も目いっぱい講義をした。毎回ベストを尽くすのが方針なので、それだけは少なくとも満足できた。これ以上(つまり学生をとことん満足させること)については、私の力不足ということになる。
 今日も寄り道せず、まっすぐ家路についた。
 キャメロンを置いたところまで電車で行ったら、なんと雪が降り出した。天気予報通りといえば、そうなのだが。
 東日本中心だった雪と寒波が、今日からはやや西側でも影響が出るとの予報だった。めったに雪の降らない住居地でも、今夜から明日にかけて雪が降るという予報である。
 家の中が冷え込んでいて、今夜は読書や資料読み程度にした。

1月25日(木)「まさかのタイヤチェーン・・・の風さん」
 目が覚めて、寝室のカーテンを開けてみたら外は雪。10センチぐらい積もっていて、今も降り続けている。天気予報通りだ。
 しかし、今日は予約してある週一のリハビリである。普通なら、電話でキャンセルしてまた後日にするだろうが、そうしないのが、何とかできないかと考えてしまうのが私の困った性格である。
 先ず、外へ出てみると、雪は見事にパウダースノーである。続けて、数年前の冬に富山へ行く時に購入して結局使わなかったプラスチックのタイヤチェーンを小屋から持って来て、玄関で装着の手順を確認した。簡単そうで意外と難しそうだった。こうなるとまた使ってみたくなるのだ。
 出発まで時間は十分にあるように思った。
 そこで、朝食も摂らずにチャレンジを開始した。
 結局、1時間かかった。時間がかかったのは、装着の説明書の絵が理解できなくて、手が動かなかったからだ。まるで知恵の輪だった。クルマはおろかタイヤも動かさずにチェーンの装着が終わるというのが、絵で見てなかなか理解できなかったのである。
 片方のタイヤができたときも、まだ納得できていない部分があって、反対側を装着するとき、また首を傾げることになった。
 装着を完了してすぐ出発した。リハビリ室に到着したのは、予約した時刻の5分前だった。
 往復ともせいぜい出して時速40キロにした。道路上の雪もかなり解けていたので、よけいスピードは出せなかった。
 ホームセンターで買い物までして無事帰宅した私を見て、ワイフはいつもの呆れ顔だった。
 遅い朝食、遅い昼食を摂りながら、いつもの雑務処理をし、夕方から読書にも取り掛かった。
 何となく大きな仕事をしたような1日だった。
 日中はもう雪は降らなかったが、天気予報では、今夜から明日にかけてまた雪になるらしい。

1月26日(金)「ラッキーな1日・・・の風さん」
 相変わらず冷え込んでいる。雪は降っていないが、日陰に雪は残っている。
 ヒートテックの長袖シャツとズボン下で武装して出発した。最寄りの駅まで徒歩だ。途中が下り坂で、案の定、途中が雪道というか凍っている。凍ったアスファルトは危ないので、道路わきの草地を選んで歩く。もちろん雪におおわれているが、踏むと沈む状態なので、歩ける。しかし、最後、どうしてもアスファルトの上に出る必要があった。と、その上に足をのせたとたん、つるりとすべって、危うく転びそうになった。老化現象で平衡感覚も鈍っているので、老人の外出は自殺行為だ。何とかもちこたえた。ギリギリセーフということ。
 電車の乗車時間は名古屋まで1時間はない。しかし、18分も遅れた。悪天候に弱い地元の私鉄である。
 今日は生産技術者ワークショップだった。一種のアクティブラーニングなので、アドバイザーはあまり関与しなくてもよい。むしろ関与を減らすべきだ。なので、内職用にMacBookAirを持参したが、午前中は内職はまったくできなかった。
 昼の休憩から午後のグループディスカッションの間に、やっと内職ができた。ここはWi−Fiがないので、iPhoneのテザリングでネット接続し、メールチェックや4月の旅行計画の検討をした。ラッキーなことに、4月初めの京都泊が予約できた。
 同僚のアドバイザとも有意義な情報交換ができた。
 来月、青少年読書感想文全国コンクールの表彰式が東京であるので、出席する予定だが、その旅行計画がなかなか立たなかった。そもそも主催者から招待状が届いたのが昨日だった。ワイフもぜひ同伴したいと言っていたので、旅行計画を一気に立てることになり、あれこれ調べてみたら、ラッキーなことに、安いホテルが確保できた。
 もやもやしていた東京と京都旅行が、今日一日で急に具体的になった。

1月27日(土)「タイヤチェーンを外した・・・の風さん」
 昨日に続いて青空が広がっているが、風が強い。雨だけでなく降雪のあとも強風になるようだ。
 やっと旅行計画が軌道に乗ってきたので、午前中に、来月の上京計画のための切符の手配をした。これで準備はほぼ終了。
 昼にインスタントの日本蕎麦を食べ、体が温まったところで屋外作業へ。
 キャメロンからタイヤチェーンを外したのだが、装着よりは楽だった。タイヤチェーンは、硬質ゴムにスパイクも打ち込んである。低速とはいえ、乾燥路も走行したので、でっぱりがかなり磨滅していた。
 昔(学生時代)、冬季にはスパイクタイヤを利用していた。このスパイクは一見すると、タイヤの中に埋もれているようだが、タイヤが回転し地面との間で圧力がかかると飛び出してくる仕掛けだった。スパイクタイヤは路面を削り、粉じん公害を起こすとされて廃れてしまった。スパイク付きのタイヤチェーンも同じなのだけど、いいのかね。
 身軽になったキャメロンで郵便物を投函に行った。
 午後は、 hairdye をしながら雑務処理をした。
 屋外作業は今日はもうしないと決めていたが、裏の土地のソーラー式ガーデンライトが気になって、へぼ充電池のままになっていた1台を高性能充電池と交換した。
 やることをやって、かなり気が楽になったので、その後は、読書に専念できた。

1月28日(日)「上京前日の慌ただしさ・・・の風さん」
 明日上京するので、今日中にやっておきたいことがたくさんある。
 朝食後外へ出ると、曇り空だが幸い風もなく、屋外活動には好都合だった。
 お土産を買うため和菓子屋に寄った。数日前と同じ動機だ。地域活性化(笑)。次に、GSで灯油を購入。原油高の影響で近年では最高価格だろう。キャメロンにも満タン給油。とにかく価格については、今年の冬はあきらめ。それにしても、東日本大震災のときは原油安で本当に日本は助かった。
 近くのホームセンターにも寄って買い物をして帰宅。
 灯油等の買い物したものを置いて、今度は、捨てるための段ボールを積んで再出発。
 スーパーで段ボールを収集ボックスに入れ、追加のお土産を買って、また出発。いつも利用しているホームセンターへ行って買い物。さらに、ドラッグストアーに寄ってまた買い物。
 最後は三河湾沿いの道を楽しく走って帰宅。海が穏やかで気持ちもなごんだ。
 天気が好いうちに灯油を屋外タンクへ補給。また寒波が来そうだが、これで安心。
 昼食は高速ランチつまり卵かけ御飯(笑)。
 作家業に取り組む前に、先ず雑務処理。なるべくゴミを捨て、さらに読みかけの雑誌を1冊読んで捨てるのだ。
 午後3時過ぎくらいから、小雪が舞い出した。今夜からまた雪になるかもしれないとは思っていたが、ちょっと早いな。
 明日の上京では複数の出版社(編集者)と打ち合わせをするので、最低限の準備が必要だ。土壇場のやっつけ仕事にならないように気合いを入れた。
 今日の最後の準備は、着ていくものだった。心配したワイフの厳しいチェックを受けて、何とか形ができた(笑)。

1月29日(月)「長年のトラウマをのりこえて・・・の風さん」
 昨日の午後から天気が悪化してきたので、電車の遅れを考え、出発を30分早めた。
 幸い、雪はおろか雨も降らず、新幹線の出発時刻の1時間前に名古屋に着いた。
 昨年末から超多忙が一段落しているせいか、体力が少しずつ戻っている。行きの新幹線車中でも、色々なことができた。MacBookAirでメールチェックもしたし、持参の資料を読みながら午後の打ち合わせのためにあれこれ追加検討した。
 昼食は新幹線車中でパンを食べて済ませ、東京に着くとすぐ最初の打ち合わせ場所に向かった。
 ここでの打ち合わせは1年ぶりで、前回の内容から心変わりしていないことを確認した上で、少し進んだ検討内容を説明した。1年前以上に意見が一致したが、私が昨年のような無理はできないので、来年の出版へ向けてゆっくり進めて行きたいと話して了解してもらった。
 約1時間の打ち合わせを終えて、次の打ち合わせ場所へ向かった。昨年2回打ち合わせをしている相手だった。直前の打ち合わせ結果も伝え、今年中に御社の本を出版できるように進めたいと伝えて喜ばれた。
 喜んだのは相手だけではない。色々な意見交換を続ける中で、ラストシーンへ向けてのアイデアが、次々に私の頭に浮かんだのだ。相手の同意も得られたので、悩んでいた私は、突破口が開けた想いだった。こうなると、執筆へ向けて大いにモチベーションが高まるのである。
 約1時間半の打ち合わせを終えて、私は満足感に包まれながら、次の目的地へ向かった。
 もう10年以上出席してなかった日本推理作家協会の新年会に出るのである。前の2つの打ち合わせが成功だったので、新年会に出席することにしていて良かったと思った。
 もう日はとっぷりと暮れていて、先週の大雪の名残が残っている町をかなり歩いたが、寒さも堪えることができた。
 新年会が始まる前に、久しぶりに辻真先先生にお会いできた。色々な話で盛り上がった。
 会場の扉が開いて中へ入るとすぐ、鈴木輝一郎さんがいたので、こちらも久しぶりに挨拶することができた。先週、階段から落ちて救急車で運ばれたことはFBで知っていたが、大事にはいたらなかったのでこうして会えたのだ。相変わらず明るさとタフさとオーラを感じた。
 体調不良で欠席された今野敏さんには会えなかったが、今回は思い切って東野圭吾氏に挨拶した。数年間ではあったが、デンソーで同じ時空を共に暮らしたが、当時仕事を一緒にすることはもちろん、言葉を交わすこともなかった。トラウマがあって、私はその後、何年間も彼に接近することはできなかった。しかし今日は、本当に心を開いて彼に話しかけたのだ。
 声をかけてすぐ、私の名札を見た彼は、すぐに私を認識してくれた。私の作品を読んでいてくれたし、メール交換も数回したことがあるからだ。
 私は、これまで話しかけられなかった理由を正直に話し終えると、早々にそこから離れた。トラウマは急に薄れて行った。
 あと何人かと名刺交換をし、ビンゴゲームで外れた後、食べられる物をしっかり食べて、新年会場をあとにした。
 予定よりも早くホテルにチェックインし、明日は朝が早いので、午後11時過ぎにはもう就寝した。密度の濃い一日だった。

1月30日(火)「紅さんに見惚れた風さんの巻」
 6時起床。シャワーを浴び、ゆっくり朝食を摂って、8時にチェックアウトした。
 午前中は、慶應大学の親しい先生を日吉キャンパスに訪ね、近況を語り合った。
 昼前に御徒町で、児童書のエージェントと合流し、ランチしながら打ち合わせ。
 それからすぐ上野広小路亭に向かった。
 今日は講談の日だった。受け付けで「混んでいますよ」と言われた。今、講談が人気なのだそうだ。
 客席に入ると……、な、なんと立ち見! うっそ〜。
 途中から聞き始めたのだが、次に出てきたのが、神田松之丞だった。エージェントが私の耳元で「この人、今、大変な人気なんですよ」。
 若いのに、本当に上手だ。迫力がある。演技力も。そして、面白い。引き込まれる。
 悪運の強い私は、松之丞の師匠である神田松鯉の高座も聞けた。
 中入りになって、隣席のご老人が私に話しかけてきた。色々と話していて分かったことは、客席にもすごい人がいたということだ。そのご老人は95歳だという。毎年10kmのマラソンにも出場しているそうだ。90歳から始めた趣味は根付け作りで、金メッキされた中がくり抜かれたサイコロ形状なのだが、内容物がころころと動いて落ちないのだ。つまり、3Dプリンターで作られたようなややこしい構造物である。ご老人いわく「旋盤で作るのが王道だが、わたしはボール盤で作っている」とのこと。ポイントは治具らしい。私がモノづくりのプロであることは当然知らないので、ご老人もあえて説明しようとはしなかった。
 中入り後は、お待ちかねの神田紅さんだった。神田松鯉さんが義士伝の一つ「天野屋利兵衛」をやったので、急きょ「桂昌院」をやられた。このネタは以前にも聞いたことがある。お玉ちゃんの話だ。
 今日は、紅さんと講談後、エージェントや装丁家の中島かほるさんを交えて(私の企画で)お茶を飲むことになっていたのだが、95歳のご老人を紅さんに紹介した。ご老人は自慢の根付けを紅さんにプレゼントした。
 外へ出て、隣の風月堂の喫茶ゾーンで歓談した。博識の中島かほるさんが、次々に面白い(けど私の知らない)話をして、いつ終わるともなく続いた。私は、横の紅さんを何度も振り返りながら、ぽーっと見惚れていた。
 忙しい紅さんと1時間ちょっと歓談して、とりあえず今日はおしまいにした。エージェントは次の用事があるし、私も家路につく必要があったからだ。中島さんは風月堂でお土産を買っていた。
 昨日からたくさんの用事を順調にこなし、今日は久しぶりに紅さんに会えて大満足だった。
 帰りの新幹線に乗ってからも、なぜか私は元気で、色々と雑用もこなした。
 帰宅したのは10時で、ワイフへの土産話は午前零時過ぎまで続いた。

1月31日(水)「ボケ?にもめげず・・・の風さん」
 今日も外回りの仕事がある。幸い天気も好い。
 Amazonから注文した品物が届いたが、寸法の読みも間違えたために、目的を果たせないことが分かった。どうしよう、これ? 何に使う?
 昼前にカリチューに到着。予定していたキャメロンの修理である。1年前に、次は幌を交換しようと思っていたが、べらぼうな費用がかかることが分かり、塗装中心の修理にすることにしていた。板金もあるし、やはり幌の部分的な修繕もしてもらうので、日にちがかかる。
 代車はパッソを借りた。
 コンビニでパンを食べてから、スーパーで買い物をし、行きつけの床屋に行った。店員と馬鹿話をして過ごした。
 帰り道の途中にあるホームセンターで、買い物をした。今朝Amazonから届いた品物が使えないので、別の物を探した。使えそうな品物があった。ちゃんとコンベックスを持参していて、寸法確認をしながら品物のサイズを選定した。
 帰宅してすぐ、浮き浮きしながら、買ったばかりの品物が、目的にかなうか点検した。
 げげっ! 合わない! ちゃんと寸法チェックしたのに……? どうしよう、これ? 何に使う?
 1日に2度も呆れたことが起きたのに、なぜか精神的に持ちこたえられている。不思議だ。鈍感? もしかして、これが本当のボケかも?
 夜になってやっとメールチェックした。とても気になるメールが来ていた。人生はすぐ先のことが分からない。予想もつかないことが起きる。
 ところで、毎日気まぐれ日記を書いているが、サイトのフォルダにアップできないでいる。それでなくても購読者が少ないのに、これではゼロになってしまう。

2018年2月はここ

気まぐれ日記のトップへ戻る